トップページ  前ページに戻る


10分小説

「どっちだっていいじゃない」    著: 弓弦 音音


 とある大学の弓道部でその事件は起きた。

  尚(たかし)は部活のため、学校の敷地内にある弓道場へやってきた。尚は4年生であり、この部の主将である。

  「うぃーす、おう一也(かずや)。」
  「おう、尚、今日は早いな。」
  「まあな、試合も近いし少し多めに練習しないと。」

 道場にはすでに数名の部員がいて、そのうちの1〜2年生は道場の掃除をしていた。尚は神棚へ礼をして道場へあがり、皆に挨拶した後、荷物を置いて自分の弓を取ろうとして弓立てへ向かった。

 「あれ?この弓、竹じゃないか!しかも新しいな。おーい、この弓誰のだ?」
 「あ、それは一也先輩が買った弓ですよ。」後輩の一人が答える。
 「え?一也が?おい一也!これはいったいどういうことだ!」
 「ああ、昨日思い切って買っちゃったよ。」
 「思い切って、じゃねーだろう!おまえあれだけ竹弓を否定してたじゃねえか。」
 「そうだったけど、弓具店でいろいろ聞いてるうちに竹もいいかななんて思ってさ。手入れとかもそんなに大変じゃないし。さっき引いてみたけど、とにかくグラス弓よりもいいんだよ。反動は少ないし矢飛びはいいし。やっぱ弓道やってるやつなら竹弓だろ。グラスの時代は終わったね。少なくても俺の中では。」
 「なに!なにいい気になってんだ。ポリシーの無いやつめ。弓を買って心を売っちまったんじゃねえだろうな。この部ではお前以外の部員は全員グラスを使っているんだぞ。それでもそれなりの成績を残している。お前の発言は今の俺たちを否定するものだぞ!今すぐ撤回しろ!」
 「何むきになってんだ。なら全員竹にすればいいじゃないか。」
 「そういうこといってんじゃねえよ!お前の部の輪を乱すような発言に怒っているんだ!」

 2人の言い合いにより空気は険悪なものとなり、部員はおのおのの作業の手を止め、2人の様子をうかがっていた。その間に道場にやってきた部員は、外からおそるおそる覗くように見ていた。

 「そもそも、竹のほうがかっこいいだろ。試合でも見栄えがするし。グラスなんてただの板だよ。かまぼこ板でも作れるんじゃねえか?」
 「んだと、言いたいこと言いやがって!竹なんてただ高いだけだろ。グラスは安い割りに性能がいい。今の俺たちには十分だ。お前に竹なんて10年早いんだよ!」
 「甘いな。竹を使うことで道具の手入れも勉強できるんだ。いつまでもグラスにこだわっていると新しいことを学ぶことができないぞ。」
 「偉そうに、何様のつもりだ!竹なんて、アレだ!メンマだ!お前はメンマで弓を引こうとしているんだぞ!目を覚ませ!」
  「誰か!尚先輩に氷をもってこい!早く!」興奮した尚の意味不明な発言に危険を感じた後輩たちは、尚を座らせ落ち着かせた。

  その時、5年生の木村がやってきた。彼は道場内の異様な空気に一瞬戸惑ったが、すぐに荷物を置きにあがってきた。後輩たちは遅れて気がつきいっせいに挨拶をする。

  「あ〜おはよ〜。尚、どうしたんだ?それに一也も。」
  「え?ああ何でもないですよ…、あ、木村さん、それ…!」
  「ん?ああ、これね。弓買ったんだよ。またこれで弓道漬けになっちゃうよ〜。勉強もしなきゃいかんのにね〜。」
  「一也!ちょうどいい!木村先輩がどっちの弓を買ったか、これで白黒つけてやろうじゃないか!」
  「なるほど、でも木村さんはすでに自分のグラス弓を持ってるんだ。竹弓に決まってる。やっぱこれから買うなら竹だよ。そうですよね?木村さん。」
  「いや、木村先輩は今のグラス弓であの20射皆中の記録を出したんだ。グラスがいいということは誰よりもわかっているんだ!そうですよね?」
 「え?」
  「木村さんはっきり言ってください!これからは竹です!他の人間は竹を意味無く避けてるんですよ。弓道と言えば竹弓。日本古来からの伝統のスタイルなんですよ。」
  「いや違う!グラスこそ今の我々にふさわしい道具だ!かっこや雰囲気に惑わされずに慣れたものを使うのが一番なんだ!そうですよね?先輩!」
 2人は木村に詰め寄った。木村は2人のただならぬ雰囲気に戸惑いながら、少し申し訳なさそうに新しく買った弓を取り出して見せた。そしてその弓には金色の文字でこう刻まれていた。

 「carbon」










トップページ  前ページに戻る

inserted by FC2 system