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10分小説C

「21XX年。」    著: 弓弦 音音


字形大学弓道部は危機に瀕していた。
 年明け間もない1月のある日の夕方、数名の部員が道場で練習していたところ、火星人の木下さん(52)が乗った宇宙船が操縦不能になり、道場の屋根に激突した後矢道に不時着した。幸い木下さんは(人間でいう)足の骨を折っただけですみ、宇宙船保険に加入しているから保険が下りる、と安堵の表情を見せていた。しかし、よくないのは弓道部のほうで、道場の天井には穴が開き、矢道は不時着した宇宙船のおかげでひどくえぐれてしまっていて、以降練習ができない状況に追い込まれてしまった。後日、無事保険が下りることが確認できた木下さんは、入院中のスペース狛江第三病院の病室から弓道部に謝罪のモールス信号を送り、道場の修繕費用を全額負担することを約束した。こうして、字形大学弓道部は道場が直るまで自主練すらできない状況となった。
 字形大学はこのときオフシーズンであり、3月の春合宿までは自主練期間であった。正規の部活動は無いが、この期間まったく弓を引かなければ、次シーズンの出だしに大きく影響を及ぼしてしまうことは自明である。主将をはじめ、幹部は頭を抱えていた。
『外の道場に行くのもいいが、勝手が違うためなかなか自分たちのペースで練習することができない。』
『なんとか、この状況をうまく打開する方法は無いか。』
 その日も主将の尚と、同学年の一也は、工事中の道場を眺めながら思案していた。

(一也)「弓があるから素引きはできるけど、やっぱ普通に引かないとな。」
(尚)「巻き藁もできないことは無いね。ただほんとに的前ができないのはイタすぎるよ。」
「ほんと一寸先は闇だな。まさか宇宙船が…。」
「あの宇宙船、水星のメーカーらしいよ。ほら、この前リコール隠しで問題になった。」
「ああ、あそこか…。木下さんも気の毒に。」
「俺らもかなり気の毒でしょ。最上級の被害者だよ。怪我人が出なかったのが奇跡だよ。」
「そうだった。でもほんとどうするよ。4月にはもう試合があるよ。」
「う〜〜ん。道場は無いけどいつも通りのペースで練習…。いや、無理でしょ。」
「だから、それを何とかしようって言ってんの。」

 ゴゴゴゴゴッッッ!!……ドスンッッ!!

「ん?一也君、オナラ?」
「違うよ!こんな重低音の出せるかよ。しかしでかいな〜。向こうの方から音がしたな。」
「あ、どうでもいいけど今のでこの事件のときのことを思い出しちゃったよ。」
「あ〜確かにこんな感じだったよな。練習してたらいきなり天井から爆音がしだして…。」
「そうそう、その直後に屋根が吹っ飛び、巨大な物体が矢道に落ちてきたと。そういえばあれ以来、ヘリとか雷の音聞いても思い出すんだよ。これトラウマになってんのかね。」
「確かにショッキングな出来事だったからね、トラウマにもなるわ。」
「まあでもこれを言い訳にしたくないね。」
「っていうと?」
「万全な状態では試合に臨めないかもしれないけど、このことを言い訳にするのはかっこよく無いじゃん?」
「そうだね。弓道って直前に沢山練習したからって実力が上がるものでの無いし、普段からの積み重ねがものを言う、みたいなところあるしね。ウチらにはその点の自信はあるしもう開き直って堂々とするしかないかもね。」
「お、そういうポジティブな考え方いいね〜、一也。じゃあ、素引きと巻き藁でこの急場をしのぐことにする?」
「………。すみません、やっぱ少しは的前で引きたいです…。」
「話が戻ったよ、もう。はあ〜…、ひとつだけ案があるんだけど、聞きたい?」
「まじっすか、尚先生!聞かせてください、是非!」
「アーチェリー部に場所を借りるんだよ。」

 字形大学にはアーチェリー部も存在する。つまり、和弓と洋弓の両方の部活があるのである。しかし、両者は仲が悪かった。互いに、的を矢で射抜くという共通のスタイルを呈していることから、見事にライバル意識が生まれ、それは創部当初から代々続いていた。特に最近に至っては、「和弓と洋弓のどっちが偉いか」というおそよ大学生にふさわしくない幼稚な争いが激化し、弓道部とアーチェリー部の間の溝は深まるばかりであった。

「尚君、正気かな?」
「あ、怖い。そんな青筋立てないで。そして少し冷静になって。」
「おい!なんでウチがそんな借りをつくるようなことしなくちゃいけないんだよ!」
「だってもう残された選択肢はそれしかないよ。」
「大体、やつら、いつも俺らのことハイパーローテクニシャンズとかいって馬鹿にしてんだぞ!なんでそんなやつらに助けられなきゃいけないんだよ!」
「そうだけど、たしかに和弓はローテクだし。精度でもまったく相手にならないし。」
「こら、尚!お前どっち側の人間だよ!悔しくないのか?今回の事件だってアーチェリー部のやつら、『お前ら宇宙船打ち落とすなんて、一体どこ狙ってんだよ』とか言われたんだぞ!」
「そりゃ言われっぱなしってのは腹立つよ。けどね、現に今の状況を考えてみろよ。さっき言ったように、的前で引きたいならもうこの選択しかないんだよ。週1回でも借りられれば相当状況は改善されるよ。もう意地はらないでさ。」
「…、で、でもそんなのアーチェリー部が許すはずねえよ。」
「血の気の多い金星人ならまだしも、相手は人間なんだから。こちらから誠心誠意頼みに行けばわかってくれるよ。なんなら向こうの主将を買収するよ。」
「どこが誠心誠意だよ…。でも、そうだな…。む〜〜しかたない!頼みに行いくか。」
「うん、もしかしたらこれがきっかけになって溝が埋まるかもしれないよ。歩み寄ることが大事っすよ。」
「はいはい、今回だけだよほんとに。」
「じゃあ、早速アーチェリー部のところに行ってみるか。誰か練習してるでしょ。主将がいたらもう直接話をすればいい。いざとなったらこの食券で…。」
「安い買収費用だな、おい。」

 2人はアーチェリー部の活動エリアに向かった。
 
 あたりには人だかりができ、消防車と救急車十数台による消火活動、救助活動が展開されていた。群集の見つめる先では、2人があの時あの場所でみた光景が蘇ったかのように、金属の物体が埋もれていた。そこは見事にアーチェリー部の活動場所であった。その奥では、アーチェリー部の主将と他数名の部員が警察の事情聴取を受けていた。

「尚君…。これは一体…。っていうかそういえばさっき…。」
「アーチェリー部…。弓道部に貸したくないからって、こんな自虐行為を。何もそこまでしなくても…。」
「違ぇ!状況をよく見ろぉぉっ!!」

 後日判明したことによると、スペース狛江第三病院に入院中の木下さんの妻が、彼に換えのパジャマと歯ブラシを届けようとしたところ、同様に宇宙船が操縦不能となり、アーチェリー部の敷地に不時着したということである。幸運にも彼女はかすり傷ひとつない状態で、「落下途中に初めて富士山を見た」と少々興奮気味であった。ちなみに宇宙船のメーカーはやはり同じであった。
 ところで、弓道部とアーチェリー部の対立であるが、同じ体験を共有することとなったこの事件以来、徐々に軟化の兆しを見せているということである。












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